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年代別 映画作品( 1971年 ~ 1991年 まで合計4映画作品)

1991年

ハックルベリィの冒険

  • 1991年8月16日(金)
  • 編集

19世紀のアメリカを舞台に少年たちの冒険を描くアニメーション。1976年にフジテレビ系で放映された同名TVアニメの総集編。原作はマーク・トウェインの代表作「トム・ソーヤの冒険」の続編「ハックルベリー・フィンの冒険」。

監督
光延博愛 小華和ためお 樋口雅一
出演キャスト
野沢雅子 山田康雄 大塚周夫 武藤礼子
1978年

大地の砦

  • 1978年1月12日(木)
  • 編集

一九六九年の「砂川反戦塹壕行動隊」以来、一貫して反基地闘争を記録し続けてきた星紀市監督作。一九六九年春の反戦塹壕構築から一九七七年秋の米軍・立川基地全面機能停止までの九年間の立川基地撤去闘争を記録した作品。--一九七七年十一月三十日、米軍立川基地は日本政府に全面返還された。戦後三十二年間の米軍駐留時代が終わった。立川基地が飛行場として開設されたのは大正十一年、当時の陸軍飛行第五連隊が立川へ移駐して来た時である。一九六八年二月二日、二・四沖縄ゼネストに呼応して、高さ八メートルの反戦旗を滑走路の北端ぎりぎりに十数本立て、米軍の飛行を実力で阻止しようとする闘いが「砂川反戦塹壕隊」によって始められた。その年四月十八日には拡張のための土地収用認定取り消しが閣議決定され、また、十二月一日には米軍の飛行業務が停止された。七十年夏、塹壕の地主(砂川町基地拡張反対同盟員)から、基地の拡張も中止され、米軍の飛行業務も停止されたのだから塹壕を埋めて返してほしい、という申し入れがなされた。しかし、自衛隊側は、立川基地使用が決まっている現在、塹壕を埋める事は出来ないと主張し、地主と激しく対立した。一九七一年八月二十九日、自衛隊の立川基地進駐阻止の具体的戦術として反戦放送塔が自衛隊立川基地進駐阻止共闘会議の手によって建設された。翌年十二月二十七日、自衛隊は反対派の主張を無視し、立二基地に強行進駐した。そして、立川基地返還後も自衛隊が継続使用している現実に、数多くの問題を投げかけた、米軍・立川基地全面機能停止までの九年間の闘争記録映画である。(16ミリ)

監督
星紀市
出演キャスト
1971年

続・塹壕

  • 1971年10月27日(水)
  • 編集

一九六九年から星紀市は自らの資金で砂川を記録し始めた。その第一作「砂川反戦塹壕行動隊」では、国家権力と対決する政治行動を記録し、第二作「塹壕」では、六九年から七〇年にかけて、反戦塹壕と地元住民意識とのギャップの中で解体していった反戦塹壕の姿を描いてきたが、この作品では新たな局面を迎えた砂川闘争の意味をさぐる。

監督
星紀市
出演キャスト

塹壕

  • 1971年5月4日(火)
  • 編集

一九六九年二月二日。その日、雪降る砂川の地で反戦塹壕闘争が開始された。二・四沖縄ゼネストに呼応する、本土における沖縄闘争の構築をめざす労働者、学生。市民同志諸君の手によって米軍機の離発着を実力で阻止しようとする、八メートルを越える反戦旗が滑走路の北端ぎりぎりに、約三〇本立てられた。ありとあらゆる米日権力の弾圧をはねのけ、反戦塹壕は「行動隊」「共闘会議」を軸として一九六九年四月十八日の基地拡張中止閣議決定、土地収用行政処分撤回を勝ちとり、一九六九年一二月一日には米軍飛行業務全面中止にまで追い込む闘いを闘い抜いた。だが「立川基地の自衛隊使用方針」が、一九六九年暮れに政府防衛庁から打ち出されて以来、今日まで約一年間、反戦塹壕は、敵権力との対峙を辛うじて維持する形で保ってきたにすぎない。「砂川反戦祭」に代表されるような塹壕主体の堕落解体現象に対する地元の批判として塹壕の地主(砂川町基地拡張反対同盟)から、塹壕を埋めて更地にして返してくれとの申し入れが一九七〇年に発せられた。

監督
星紀市
出演キャスト

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2020/8/4更新
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