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是枝裕和監督の目指す“invisible”なつながりとは。『万引き家族』を評価したカンヌの意義

2018年6月11日 8:15

『万引き家族』でパルムドールを受賞した是枝裕和監督

是枝裕和監督作の『万引き家族』(公開中)を巡って、議論が巻き起こっている。是枝監督は「公権力とは距離を保つ」として祝意を辞退する考えを「「invisible」という言葉を巡って——第71回カンヌ国際映画祭に参加して考えたこと——」(6月5日)、「『祝意』に関して」(6月7日)と2度にわたって公式サイトで明らかにした。

カンヌは世界の激動に対峙しようとする映画祭である。映画には世界を変える力がある、と信ずる映画祭である。少なくともそうあろうとする。そんな、『万引き家族』をパルムドールに選んだカンヌ国際映画祭の意義を改めて見つめる。

是枝作品は総合的な評価と社会性を買われてパルムドールに輝いたが、そのほかの日本映画は演技など演出上の実験性が評価されていた。今年出品された日本映画は、監督週間のアニメ『未来のミライ』(7月20日公開)を含めて4本。長編コンペでは『万引き家族』と初カンヌ入りした濱口竜介監督『寝ても覚めても』(9月1日公開)、短編コンペでは2回目の佐藤雅彦とc-project &川村元気監督『どちらを選んだのかはわからないが、どちらかを選んだことははっきりしている』が上映された。

『寝ても覚めても』で商業映画デビュー作にしてカンヌ出品を果たした濱口竜介監督(写真中央)

政府が反政府的と出国を拒否した監督、イランのジャファール・パナヒ監督とロシアのキリル・セレブレンニコフ監督の作品を、わざわざ監督不在をアピールしながら上映するのも、表現の自由、創作者の人権を守るという点でのカンヌのステートメントだ。

しかし、カンヌ常連とされる日本人監督の中で、おそらく是枝裕和監督ほどこの意志をもって映画作りをしている監督はいないと思う。ただし、是枝監督がモチーフとして取り上げるのは社会の小さな単位である「家族」であり、そこに集積される社会問題の澱をすくいあげること、言い換えれば、「家族」に映し出される社会の問題を観客に想像させること、が大切なのである。監督自身「いつもは家族の方に寄り添いますが、今回はより社会のほうを意識して作りました」と語っていた。ただしそれは映画祭を意識してのことではなく、国粋主義化の進む社会に対しての疑問としてなのだ。

そしてこれは日本だけではなく、世界各国の問題でもある。世界各国に広がる経済格差、そして貧困は、排他主義を誘い国粋主義を台頭させる。性別・人種・民族・宗教などによる分断と偏見や差別が横行し、人間を追いこんでいく。けれど、社会の多数の人々は追い込まれ最底辺にいる人々を無視し“見えない存在”として、そこにいないこと、見ないことにする。今年のカンヌのコンペ作品はそんな人々に焦点を当てた。

『万引き家族』チームは現地で大きな拍手をもって迎えられた

社会の歪みのトバッチリを一番受けるのが、子ども、である。今年の作品には、虐げられ、それでもその状況を負って立つ子どもたちの姿が目立った。ただ『万引き家族』の場合は“虐げている”と断罪されそうな血のつながらない”親たち”こそ、子どもを守り愛し“真の親”になろうとしている姿を描き、彼らを断罪して自分は安全地帯から社会を論ずる人々をこそ告発している。審査員賞の『カペナウム』が虐げる親を訴える少年を描き、そこで止まっているのとは違う。ここがパルムドールの選びどころだったのかと思った。

2015年に会長が代わり、いくつもの改革を進めるなかで、彼らは今年を一つの区切りとしようとしたのではないかと思うのだが、それがなぜ第70回という区切りのいい昨年ではなく、今年だったのか。それは今年が1968年のカンヌ映画祭粉砕運動から50年という区切りの年だったからだと思う。68年の運動は映画が「娯楽」と「芸術」の世界だけに安住せず、世界に社会に向き合うことも要求した。植民地の独立運動、ベトナム戦争、公民権運動、ウーマン・リブ、学生運動などが世界を揺り動かしていた時代である。映画祭メイン会場を占拠したメンバーの中心人物の一人がジャン=リュック・ゴダール監督であり、今年カンヌがスペシャルパルムドールを捧げた監督なのだ。コンペに出品されたゴダール監督の新作『The Image Book』は、様々な過去の作品やニュース映像、スチールなどをコラージュしモンタージュを重ね、今世界で起こっている暴力について描き出す作品であり、それとともに「映画」と「映像」の関係について問いかける実験的な作品になっていた。87歳にしてチャレンジを続ける監督らしく、自宅からのスマートフォンンによる「ビデオ通話」記者会見を行ったのも、話題のひとつだった。

スペシャルパルムドールを受賞したジャン=リュック・ゴダール監督はビデオ通話で会見

映画がメッセージを伝えるということは、映画が「メディア」になるということだ。ルスキュール会長はカナル・プリュスの設立者でありメディア当事者でもある。その会長が昨年起こった“Netflix問題”に対してとった対応が、今年のアメリカ作品激減に繋がっているのではないか、と思う。昨年、Netflix製作の『Okja/オクジャ』に出演したティルダ・スウィントンが危惧していたが、アメリカで”興行的な成功が予測できない実験的な作品や作家的な作品を製作しようとするのはNetflixくらい”になっているとしたら、Netflixを拒否したカンヌにアメリカの“実験的な、作家的な作品”が出品されないことになる。また、海外の映画祭で賞をとることでアメリカ国内の興行につなげようというタイプの作品を多く送り出してきたプロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインがセクシャル・ハラスメントで訴追され映画界を追放されたことも影響しているかもしれない。カンヌ映画祭の多様性と華やかさを考えるとやはりアメリカ映画の出品は欠かせないので、この辺りは来年の対応を見ていきたいと思う。

ワインスタインについては授賞式のプレゼンターとして登壇した女優・監督のアーシア・アルジェントが「21歳の時、私は彼にカンヌでレイプされた。カンヌはワインスタインの狩場だった」と厳しい顔で告発。セクシャル・ハラスメント撲滅よりもジェンダー・イクオリティ獲得に寄ったカンヌでの女性運動に一言付け加え、審査員やゲストたちの顔をこわばらせた。気持ちはわかるが、そこから私たちはもうひとつ先を行こうとしているのにここで持ち出さなくても…。という顔、だったろうか。

映画界における女性の活躍を顕彰・支援する「ウーマン・イン・モーション」賞を2015年から設け、女性映画人の顕彰と育成を掲げたカンヌ映画祭が、女性審査員長のもとでどんな作品を選び出すかと注目されていたが、その点は審査員長の宣言通り「作品のクオリティ重視」の授賞になったと思う。3人の女性監督が長編コンペに選出されていたが、レバノンのナディーン・ラバキー監督『カペナウム』が審査員賞、イタリアのアリーチェ・ロルヴァケル監督・脚本の『ハッピー・アズ・ラザロ』が脚本賞を受賞。3人目のエヴァ・ハッソン監督『ガールズ・オブ・ザ・サン』は無冠だったが、その上映の際には82人の女性映画人がリュミエール劇場の大階段に集合し、映画におけるジェンダー・イクオリティを訴えるサイレントマーチを行った。82人とは全71回の長編コンペにおける女性監督の数である。男性は1688人というから、そのギャップは大きすぎる。映画学校の生徒の半分近くを女生徒が占めるという現在。まだまだ女性だからと妨げられることも多いという、その障壁を取り除く支援が必要なのだ。ウーマン・イン・モーションなどの活動がその一端になればいいと思う。

そして、映画は続く。20年間に8回撮影中止に追い込まれながらも完成したテリー・ギリアム監督の『ドン・キホーテを殺した男』をクロージングに、第71回カンヌ国際映画祭は閉幕した。どんな逆境にあっても諦めず、見果てぬ夢を追い続け、真の世界を追い続け、映画は続く、映画祭も続く、のである。

文/まつかわゆま

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