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投稿レビュー(5件)シャルロット すさびは星5つ

来たるべき倫理に向けて (投稿日:2019年6月21日)

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近年の日本映画の中でも、最も衝撃を受けた作品のひとつ。
物語は、ごく単純に言えば不倫旅行なのだが、それが思わぬ破格の展開をなしてゆく。
度重なる過剰なイメージ、飛躍、逸脱や切断があるにもかかわらず、この作品がそこいらのアングラやアート志向映画に連なることを逃れているのは、その冒険ファンタジー性やユーモアもさることながら、一貫して論理を超えた強い重力に支えられているからではないか。
その重力の中心を「来るべき倫理」と言い換えてもいい。
その「来たるべき倫理」は、安易に他者とは共有されえぬような、決して癒えることなき「絶対的な悲しみ」を抱えて生きるすべての者を掬い上げようとする。
疎外されしものたち、小さきものたちの生存の権利であり、権力や共同体が押しつけてくる倫理の網の目をかいくぐり、それをあわよくば切断しようと目論む、来たるべき新しい倫理。
その意味で、これは「救済」をめぐる映画である。
シリアスなようでありながら、カラッとしたユーモアや悪戯心がちりばめられており、それらも一体となって理論的な救済の不可能性を突き破ってゆこうとする。

監督の岩名雅記は舞踏家でもある。
彼の映画を見ているといつも、いつしかすぐれた舞踏を観ている時と同じように時間感覚が麻痺して引き延ばされた時の中にいるような不思議な感覚を覚える。
それは、論理や物語などを逸脱した圧倒的な質的世界だ。
救済とは、そのような質的なカタチでしか立ち現れてこないものなのではないか。
そこでは何が起きても不思議ではない。あらゆることが可能なこととなる。
あらゆる離散したものたちが交流し、制度上で癒着したものたちを切断させる脱領土的な地平を用意し、また「来たるべき倫理」の開かれは「来たるべき怪物」をも生むことになるだろう。
だが、そこまで至ってもなお、それぞれの身に刻まれた「絶対的な悲しみ」は手放されるべきではない。
なぜなら、それこそがそれぞれを固有の存在たらしめる証でもあり、また離散された者通しをつなぐよすがともなるからである。
(A.Y.) »ガイドライン違反報告

投稿:memories_daveu

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豊かな映画 (投稿日:2019年5月29日)

岩名雅記監督の映画「シャルロット すさび」を2回観た。どうしても、もう一度観たくなった。謎解きをするためではなく、再び浸るために。
私は芝居屋で、どちらかといえば映画は敵だ。私は円形劇場で芝居をしている。それはプロセニアム劇場に対抗するため。そこから派生した映画やテレビに対抗するするためでもある。映画的な記憶的イメージにも批判的だし、テレビ的な現代社会のイメージにも批判的だ。
でも、この映画はもう一度観たくなった。なんでかな。それはこの映画の持つ個人性、ユーモア、虫的視点、気品のある色気、311に対する視点、アナーキズム、歌心、そんな色々な事が重なっているように思う。
まず、311。311にまともに向き合った表現がいかに少ないか。私は311後に脱国家論者になったが、岩名さんはもっと早かったかもしれない。
311にまともに向き合うというのは、どこに絶望と希望を持つかということだが、この映画には、それが明確に描かれている。もちろんファンタジックにだけど。
私は初めての岩名映画だったのだが、ちょっとだけ、もっと気取った美学の映像だと思っていた。でも、全然違う。それがユーモアだ。典型的なのがシンバルとエレキギターの戦闘シーン。他にもたくさんある。笑いと夢想の力は同じなのだ。そして実は涙の源泉も同じだと思う。
心中しようとする男女の決死のセックスに、老いた2人の覗きを絡ませる設定なんて、なんとも言えない。またそこに、虫の営みまで絡んでくる。それがガラスという一種の極限の無機質の上。この後半の長いセックスシーンには、気品とユーモアがある。
この映画にはとても気品があるのだ。コケ脅しなところがない。上から目線もないし、最近すごく多いイタい表現もない。
休日を楽しむための娯楽映画でもないし、いわゆる特権的な芸術映画でもない。何かを教えてくれる映画でもない。豊かな映画なのだと思う。豊かな映画というものがあるのだ。豊かな映像と物語が詰まった、アナーキズムの表現だ。
2度目の観劇の後に、岩名さんと話をした。やっぱり魅力的な人だった。私としては、ぜひ岩名さん自身に映画に出演して欲しい。舞踏家の岩名さんは、映画の背後、単なる監督なんてもんに甘んじてるべきではない。スクリーンに主演として出るべきだと思う。
それにしても、この映画はここ数年の収穫だった。芝居でも滅多にないくらいに。実はちょっとだけ影響を受けた。

野外劇団楽市楽座
長山現 »ガイドライン違反報告

投稿:Movie Walkerユーザー

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シャルロットすさびを観る (投稿日:2019年5月23日)

舞踏は闇から魂の一点の光を見出す試みであるとする。すると、まさにこの映画はパリのユウツと廃頽、福島の漏れ続ける放射能により捨て置かれた土地、喧噪とウソの東京、それら記憶の泥土と暗部を突き抜け限界までひた走る異界のヒカリ。私たちの白昼夢の世界に住む、渇望しつつも到達点の見えぬ愛、その男女が放つヒカリを見た。
三時間を超えるこの映画の時は光と闇を超え生と死を超え、永遠の水際へ限りなく夢想走する、息つく時もなく一気に私の中を走り抜けた。 竹之内淳志 »ガイドライン違反報告

投稿:Movie Walkerユーザー

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強靭で真摯なリアリズム (投稿日:2019年5月9日)

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この作品は、大半がモノクロである
だが、モノクロであるということは
観る人間にとって大いに救いになる
なぜなら
断片に織り込まれたこの物語に
的確な、あるいは不確定な色彩を
各々で補完し添え、味わうことを可能ならしめるからである

これがカラーであったなら
ぼくは耐えきれない
不必要なまでの猥雑さのみが主張され
随分とチープな印象さえ誘(そび)きかねない
                    
そうした点において
微妙な色の施し具合、兼ね合いが、
作品世界の深遠な静謐さと
荒々しく激しい破壊音を際立たせてくれている

そう、静謐と破壊の音(ね)

ここには相対立するあらゆる概念が
折り重なるように相対立したまま
ちりばめられている

闇と光、動と静、騒と寂、
生と死、遠と近、粗さと滑らかさ、
清澄と混濁、揺らぎと緊張、
混沌と直線、順光と逆光
渇きと潤い、破壊と再生
さらには、嗜虐と被虐、低俗と高潔まで

それらが
相互補完的というよりはむしろ
相互に同時並立的に
あるときは無邪気なまでの奔放さで
投げ込まれ、ぶつけられ
あるときは緻密な点描画のごとく
調和を保ち、あるいは乱し
自在に緩急し、疾走していく

その疾走に我々は混乱し、しかし
混乱を混乱のままに委ねてしまう

実に不可思議ではあるが
子細に振り返るならば
我々の日常は 
ほとんど、あるいは何もかもが
何一つ解決も体系化も
真の得心も反省も欠いたまま
同時並立的に雪崩れ込んでいくものだ

我々はそれらごく一部を抽出し体験し
整理できたように、思い、語り、
辛うじて秩序らしきものを保ち得ているに過ぎない

そうした意味合いにおいて
この作品は幻想的ではあっても
シュール(超現実)では断じて、ない
むしろ、強靭なまでにリアリズムなのだ
ぼくはそう思う

作品の主人公を通して
他者の記憶を辿りながらも
時折、象徴(symbol)を嗅ぎ取り
既視感に襲われる所以は
我々の無意識や内面の深層において
平素は蓋をし凝視することを忌避してきた
先述のような混沌、混乱に満ちた
いわば幻視的なマテリアルを
マテリアルのままに
訥々とであるが
真摯に代弁しようと試みているからではないだろうか

「生まれてないのに死んでたまるか」
「与えられた運命を与え返すために」

これら劇中の箴言は
生と死を含む世界のあらゆる二項対立への
単純なアンチテーゼではなく
この世界の受容における
オルタナティブであり
止揚と解することができるのではないか

かくして
我々は生まれてもいず、
また仮に運命が与えられているにせよ
それらは、敢然と与え返さねばならないはずなのだ

「大資本映画」では断じて得られぬ刺激があると思う
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投稿:Movie Walkerユーザー

評価:4
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喪失感と共生する (投稿日:2019年5月4日)

 岩名雅記の長篇劇映画、作品第4『シャルロット すさび』を、新宿K’s cinemaにて観る(2018.10.7/10.18)。舞踏家として約40年を生き、今に至る10数年は映画製作を併行して行ない、『朱霊たち』『夏の家族』『うらぎりひめ』を発表している。
 舞台はまず、パリ。シンバルを使ったパフォーマンスを行なう日本人青年カミムラ(K)は、新たな舞台のため厚さ6ミリのガラス板を求める。訪れたガラス店でKを迎えたのは、思いがけないことに日本人女性、朝子だった。Kは朝子に、亡き妻スイコの面影を重ねる。
 自分の公演に朝子を誘うK。フランス人の夫、幼い息子との日常に倦怠を感じていた朝子もKの出現に心を躍らせるが、公演会場で手にした冊子でKが妻帯者と知り、彼女は裏切られた気持ちで日本に帰ってしまう。朝子を追って日本に行くK。待ち合わせの場所に、朝子はスイコの顔で現われた(二人の女優による一役)。生前のスイコと行こうとして行けなかった山中の温泉地をめざすKと、亡き妻の面影をした朝子……。
 パリで孤独な表現活動をしていること。妻を亡くしたこと。公演にガラス板を用いることなど。Kに岩名本人を重ねることは容易だし、これは岩名雅記という人物を解釈する上で欠かせない映像のテクストだと思いつつ、あえて劇映画という物語、虚構としてとらえてみる。作家なら、物語に自身の歴史と体験、主人公に自身を重ねるのは当然だろう。その上で、岩名が観客に語りたかったのは何か。
 Kがパリの地下鉄構内で出会う、不具のイタリア人女性、シャルロットがいる。一般社会の裏で、犯罪組織を営む男に家族を人身売買され、シャルロット自身は下半身を切断されて見せ物にされた。物語の後半は、その犯罪者とシャルロットが対面し、Kに力を借りて男を殺害。いうなれば復讐譚になるのだが、やがてシャルロットは、誰にも予想できない形態の下半身を獲得する。その瞬間、シャルロットは人ではなくなったのかもしれない。それでも生き生きと、躍動して動けるようになった。自分の大部分を占めていた欠落を払拭し、別の存在として再生、復活したのだ。
 日本を離れている間、岩名雅記が抱き続けていたのは、巨大な喪失感ではないか。フランスに渡ったから感じたのではなく、フランスに渡る以前から感じ、フランスで感じ、踊っても映画を作っても、なお感じ続けている。それを埋めようとしているのではなく、失ったまま生きている。喪失と共生している、といえるか。
 映画を象徴する一場面としてポスターやチラシ、プログラムに使われている、廃虚での、Kと朝子の交わり。男女の交わりは、現代人において、子孫を残すためというより、喪失感を埋めようとする行為ではないのか。それが現代人の本能に似て。しかし、ひとつになろうとしてなれない。岩名雅記が抱いているかもしれない喪失感に共通するのだろうが、物語の背景には、東日本大震災の津波で父親を亡くした朝子の喪失感、津波による原発事故で故郷を失った人々の喪失感がある。もちろん、妻を亡くしたKの、住む人々を失った町そのものの喪失感も重なる。
 タイトルの半分、“すさび”は、心おもむくまま、さまざまに行為すること。人は本来、すさびをする生き物だが、それがとりわけ現代人に顕著だと、岩名雅記はいいたかったのか。為しても充たされない、人の心……。何度でも観て、作家の思いを共有したい。 »ガイドライン違反報告

投稿:Movie Walkerユーザー

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