Netflixで観ました。
原作は見ていません。
序盤の小学生の頃に起きたいじめの悲劇と、それを何年も引きずる主人公や周りの人々。
いじめていた側もひきずっていたことに少し安堵しました。完全な悪人ではなかったのだなと。
私がまず気になったのは植野直花という女の子。
転校してきた聴覚障害をもつ硝子という女の子について担任教師はクラスのリーダー的存在の植野に彼女のサポートを任せる。
最初の頃は植野も献身的に助けていたけど、やがて自分の勉強などに支障が出てきて重荷になってしまう・・
この時点でうまく解決ができればよかったんだけど、植野は周りの友達に愚痴をもらすだけで、それを聞いた友達も彼女を助けようと何か行動を起こすことはしない。(無関心も罪なんですね…)
植野はフラストレーションが溜まりに溜まり、それなのにその根源の対象の硝子は無邪気にそばに寄ってくる。
そこで限界がきた植野は硝子に冷たく当たり、いじめのリーダーの将也に積極的に加担をする。
今って「空気を読む」ということが一般化していて、空気を読まない相手を悪とみなす傾向ってありますよね。
本作では空気を読まない(読めない)硝子にイライラしている植野や将也や多くのクラスメートがいじめという事態を作ってしまったのだと思う。
そしてみんな心の奥底では自分は悪者になりたくないと思っている。だからこその責任のなすりつけあい…。
正直、子供の頃の話だから仕方ないかなと思うところもある。
だからこそ大人の助けがいるのに、このクラスの担任が本当に無能なんですよね…
硝子の補聴器が8個も壊されたことで学校に連絡がいき、校長がクラスで緊急学級会を開いていじめの張本人を探す。
いじめのリーダーをしていた将也は、担任に「お前だろ」と怒鳴られ、クラスメートも次々それに乗っかる。
将也は一緒にいじめを行っていた親友の島田にも植野にも見放され、これを機にいじめのターゲットは今度は将也に移る。
将也はそれから中学を卒業までずっと孤独に過ごすことになる。
いじめをうけたことで、自分はそれに値する本当に酷い奴なのだと自責をしながら…。
これって相当過酷なことですね。おかげで将也は他人の顔を直視できず、周りの声もシャットダウンする術を身につける。
将也の周りにいる人々は皆顔に「×」がはいって、どんな顔か分からないように描かれている。
他人が自分を見て嘲笑する姿も声も聞きたくないから鉄壁の守りを築いた。
そんなときに、高校のクラスメートの永束友宏がほかの男子から自転車を貸せと強要されている場に出くわす。
「誰か助けてー」という永束の言葉に反応して自分の自転車を差し出す将也。
ここから二人は友達になる。そして永束の顔の「×」がとれて顔が見られるようになる。
このことをきっかけに、心を通わせることができた相手の「×」が少しずつとれていくようになる。
自分から本心で助けたいとか、謝りたいとか真摯な行動に出た結果、
報われたり楽しいことが起こったり、そんな前向きなシーンもあるので終始つらいだけではなかったのはよかった。
終盤に硝子は自殺を図ろうとする。
自分は周りを不幸にする、将也を不幸にすると思い詰めて…
将也はそんな硝子を助けて代わりに自分が生死の間をさ迷うような重傷を負ってしまう。
その後、再開した将也と硝子。
将也は「自分が生きるのを手伝ってほしい」と硝子に伝える。
硝子は嬉しそうに応える。
硝子は一度将也に「好き」と自分の声で伝えているので将也とに恋愛感情を持っている。
そんな将也から「自分が生きるのを手伝ってほしい」告白をされたら本当に嬉しいだろうなと。
これから自分が生きていく理由になる。
そしてそれが将也の本心なのが嬉しい。
この先、二人は付き合うのか分からないけど、お互いにとって人生のかけがえのない人になっていくことは確か。
変な恋愛展開シーンがなかったのもよかった。
本当にいろんなことを考えさせられる作品でした。