佐分利信
平山渉
娘が自分の相談なしに結婚の約束をしていたと知った父親は激怒、ふたりの結婚に反対する…世界中の名監督に影響を与えた小津安二郎監督が初のカラー作品に挑戦したホームドラマ。里見とんの小説を、小津安二郎・野田高梧のコンビが脚色。出演は、佐分利信、田中絹代、山本富士子、有馬稲子・久我美子・佐田啓二、笠智衆ほか。小津作品の撮影チーフ助手を務めた川又昂監修による、4Kスキャニングによる最新のデジタル修復を実施したHDマスター。2013年11月23日より、東京・神田 神保町シアターにて開催された「生誕110年・没後50年記念 映画監督 小津安二郎」にて上映。
※結末の記載を含むものもあります。
大和商事会社の取締役平山渉と元海軍士官の三上周吉、それに同じ中学からの親友河合や堀江、菅井達は会えば懐旧の情を温めあう仲。それぞれ成人してゆく子供達の噂話に花を咲かせる間柄でもある。平山と三上には婚期の娘がいた。平山の家族は妻の清子と長女節子、高校生の久子の四人。三上のところは一人娘の文子だけである。その三上が河合の娘の結婚式や、馴染みの女将のいる料亭「若松」に姿を見せなかったのは文子が彼の意志に叛いて愛人の長沼と同棲していることが彼を暗い気持にしていたからだった。その事情がわかると平山は三上のために部下の近藤と文子のいるバーを訪れた。その結果文子が真剣に結婚生活を考えていることに安堵を感じた。友人の娘になら理解を持つ平山も、自分の娘となると節子に突然結婚を申し出た青年谷口正彦に対しては別人のようだった。彼は彼なりに娘の将来を考えていた。その頃、平山が行きつけの京都の旅館の女将初が年頃の娘幸子を医師に嫁がせようと、上京して来た。幸子も度々上京していた。幸子は節子と同じ立場上ウマが合い彼女の為にひと肌ぬごうと心に決めた。谷口の広島転勤で節子との結婚話が本格的に進められた。平山にして見れば心の奥に矛盾を感じながら式にも披露にも出ないと頑張り続けが、最後は折れて渋々ながらも出席した。結婚式の数日後平山はクラス会に出席したが、親は子供の後から幸福を祈りながら静かに歩いてゆくべきだという話に深く心をうたれた。その帰り京都に立寄った平山は節子が谷口の新任地広島へ向う途中、一夜をこの宿に過して、父が最後まで一度も笑顔を見せてくれなかったことを唯一の心残りにしていたと、幸子の口から聞かされて、さすがに節子の心情が哀れになった。幸子母娘にせきたてられて平山はくすぐったい顔のまま急行「かもめ」で広島に向った。
平山渉
平山清子
平山節子
平山久子
谷口正彦
佐々木初
佐々木幸子
河合利彦
河合伴子
堀江平之助
三上周吉
三上文子
近藤庄太郎
女給アケミ
長沼一郎
若松の女将
曽我良造
派出婦富沢
同窓生菅井
同窓生中西
女中お松
[c]キネマ旬報社
本作は小津監督作品では定番ともいえる、嫁ぐ娘とその父親の心の動きをテーマとした家族の物語である。画面の美しさやカット割りの巧みさといった「小津マジック」の素晴らしさは要所にみられるが、それを除けば「渡る世間は鬼ばかり」のようなテレビドラマと何ら変わりはない。
それにしても(それだからこそ?)なぜ、小津安二郎は「家族ドラマ」にこだわり続けたんだろう?という疑問がいつも残る。その疑問に対する今のところの僕なりの答えは「結局、テーマは何でもよかった」である。
世界中の映画監督から賞賛される小津作品の素晴らしさ「画面の美しさ」であり映画の文法を無視して観る者がどこか不安定な気持ちになる「非現実性」にあると思う。
だから、後輩である「松竹ヌーベルバーグ」の監督たちが小津監督の映画を「古臭い」と評したことは今となってはポイントのずれた指摘に過ぎないと感じる。
最近、是枝裕和や黒沢清のような日本の映画監督たちが小津作品の素晴らしさを再評価してくれているが、そんな流れがこれからの日本映画にとって「アカルイミライ」であることを期待している。
小津安二郎監督による「極上の娯楽作」であった。観ていて、楽しいことこの上ない。
アグファカラーによる小津の初めてのカラー映画。
結婚式に出席している夫婦(佐分利信と田中絹代)だが、自分たちも周囲もみんな年頃の娘を抱えている。
そうした娘たちの親たちとの恋愛観の違いを上手く描いており、時代の変遷をも描いてみせてくれる。
「ボーイフレンドはいたら心配、いなくても心配」という有馬稲子の妹のセリフが印象的。
その他、会社の外観風景・会社の役員室などは、他の小津作品とまったく同様に描かれているため既視感があるが、これも作品を観て、気持ちが落ち着く要因ではなかろうか。
しかし、小津安二郎監督の映画に欠かせない風景として、佐分利信など旧友3人の会話には、いつも爆笑させられる。楽しい。
繰り返し観たくなる傑作である。