ソラリス|MOVIE WALKER PRESS
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ソラリス

2003年6月21日公開,99分
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「トラフィック」のスティーブン・ソダーバーグ監督が、名作SF「惑星ソラリス」をリメイク。謎めいた星がもたらす怪現象によって、自らの失われた愛と直面する男の苦悩を描く。

ストーリー

※結末の記載を含むものもあります。

惑星ソラリスを探査中の友人から助けを求められた心理学者クリス。しかし彼が宇宙ステーションに到着すると友人は自殺しており、クリスの身には不可解な現象が続発する。やがて、死んだはずの妻レイアが姿を現す。

作品データ

原題
SOLARIS
製作年
2002年
製作国
アメリカ
配給
フォックス
上映時間
99分

[c]2002 TWENTIETH CENTURY FOX [c]キネマ旬報社

映画レビュー

3.2
  • SYNTAGMAN

    3
    2018/5/6

    GWでヒマなので前から気になってたこの映画を、DVDをレンタル。

    宇宙の話だけど、宇宙はメインじゃなく、起こる「不思議体験」がメイン。宇宙でなくて絶海の孤島でも、人里離れた山の奥でも同じストーリーが成り立つ。なので、宇宙ものを期待すると一寸違う。
    話の展開から、人とは何か、自分とは何か、を考えるけれど、あまり深追いはしてないかな。

    星三つ。

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  • 刹那

    3
    2011/12/23

    地球と同じく宇宙には数え切れない程の星(この場合は惑星)が存在していますが、その中には人の心にも直接影響を与える星が存在しているのでは?と思ってしまいました。

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  • やまひで

    2
    2009/8/16

     雨が窓ガラスに水玉を作って流れ落ちているシーン。すると、画面が転回して、
      「クリス、どうかしたの?」
    と、オフから女の声が聞こえた。カメラのアングルが変わり、また同じ女の声。
      「私、貴方のこと、何よりも愛してるわ。」
    そしてまた、続けざまに、
      「ねえ、貴方、私のこと、もう愛してはいないの?」
    そこには、身動きもせず、何か深刻に思いつめている男、クリスがベッドの上に座っていた。

     こうして本作は始まる。時代設定は近未来。それでも、宇宙開発は進んでおり、人類は問題なくかなりの距離を有人飛行できる。クリスの目的地は「惑星ソラリス」を周航している観測用ステーションである。実は、クリスの友人で、このステーションのチーフ、ジバリアン(この役を演じるウルリヒ・トゥークーアは、ドイツの中堅俳優の一人で、実力派)が、ステーションのクルーに起きている異常な精神的状況に困り果て、心理医であるクリスに助けを求めてきていたからである。こうして、ストーリーは、SFミステリー的展開を遂げる。

     さて、人間の脳活動を物質化できるものであろうか。更に言えば、人間の記憶にあるものを組成し、それによってできたものをマテリアル化して、知覚できるだけはなく、触覚もできるようにすることが可能であろうか。というのは、そのような能力を「惑星ソラリス」は保持しているらしいのである。こうして、ステーションの乗組員一人一人は、「惑星ソラリス」から自らの脳活動の産物たる「訪問者」が送られてくる。クリスの場合は、数年前に自殺した自分の妻「レイア」であった。物語りは、ここからは専らクリスと「二人」のレイアとの間の関係が軸となる。つまり、地球上での、過去の、クリスの記憶に残存する「レイア」と、このクリスの記憶から組成され、マテリアル化された「レイア」の二人である。しかも、妻レイアの自殺については、彼女がクリスに懇願したのにもかかわらず、クリスが夫婦の争いの場を離れてしまい、その間にレイアが発作的に自殺をしてしまったという経緯があったのである。このことに、クリスは罪悪感を抱いていてた。これが、作品の冒頭に描かれたシークエンスの理由でもあった。

     ところで、ヨーロッパ中世には、大きな神学的・哲学的論争があった。即ち、唯心論対唯物論である。唯心論では、物質的存在がその存在を認められるのは心の働きによるからとされる。人間の主観が客観に優位する。これに対して、唯物論では、事物の本質ないし原理は物質や物理現象として究極的に説明できるとする。故に、客観は主観との関係性なしに存在する。これは、今で言えば、認識論の問題であり、所謂「現実」とか、「真実」とは何かということである。人間は、「本当の」現実、「真実」を認識し得るか。いくら経験による認識、知識を集めたとしてもそれは部分の継ぎ接ぎであり、ある事物の全体像とは究極的には認識でき得ない。

     では、この議論が何故本作のストーリーと関係があるのか。問題をクリスと「レイア」のレベルに引き戻してみるに、クリスの主観にとって存在するのは、実は、地球上においても彼が「レイア」について経験して集めたものでしかない。「本当の」レイアは、認識し得ない。現実のレイアが存在すれば、クリスの主観の認識した「レイア」との「ズレ」を修正できる。しかし、その生身のレイアがもはや存在しない時、クリスの記憶の中にある「レイア」は、原理的には、「惑星ソラリス」が創り出した「レイア」と同じである。だから、ジバリアンが正しくも「夢想」状態のクリスに言った通り、唯心論の立場に「決断」すれば、「惑星ソラリス」が創り出した「レイア」もまた「虚構」ではないのである。しかも、自らを「惑星ソラリス」と一体化させたクリスは、「レイア」を自分の世界の中に、彼女を自己の主観によって修正しながら、位置づけることができるのである。

     この意味では、本作で監督・脚本・撮影・編集と一人四役をこなしたS.ソダーバーグ監督が、悪く言えば、自閉症的に撮った作品の、これが本質的テーマと言えば言えなくもない:自らの恣意によって構成できる世界の中に存在できる至福!但し、果たして、ご本人がこの認識論的問題を意識していたか、作品の撮り方から判断して甚だ疑問である。蓋し、この内容的な深みのなさが、ソダーバーグ監督の、A.タルコフスキー監督のような巨匠監督たり得ない所以であろう。

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    ネタバレあり
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