イーサン・ホーク
Vincent
遺伝子が全てを決定する未来社会を舞台に人間の尊厳を問うサスペンスタッチのSFドラマ。監督・脚本は本作がデビューとなるアンドリュー・ニコル。製作は「マチルダ」など俳優・監督として知られ、自身の製作会社ジャージー・フィルムズで「危険な動物たち」などを手掛けるダニー・デヴィート、同社の共同設立者であるマイケル・シャンバーグとステイシー・シェール。撮影は「トリコロール 青の愛」(共同脚本も)などクシシュトフ・キェシロフスキ監督とのコンビが有名で近年アメリカに進出したスワヴォミル・イジャック。音楽は「キャリントン」のマイケル・ナイマン。監督のレトロ・フューチャー的コンセプトを徹底的に視覚化した美術はピーター・グリーナウェイ監督の諸作で注目された「陪審員」のヤン・ロルフス。衣裳は「マーズ・アタック!」のコリーン・アトウッド。編集はリサ・ゼノ・チャーギンがそれぞれ担当。主演は「恋人までの距離」のイーサン・ホーク。共演は「バットマン&ロビン Mr.フリーズの逆襲」のユマ・サーマン、「オスカー・ワイルド」のジュード・ロウ、「エンド・オブ・バイオレンス」のローレン・ディーン、ベストセラー作家で脚本家・映画出演も多数のゴア・ヴィダルほか。
※結末の記載を含むものもあります。
近未来。遺伝子工学の進歩で胎児の間に劣性遺伝子を排除することが出来るようになった。自然の形で生まれたヴィンセント・フリーマン(イーサン・ホーク)は、心臓が弱く30歳までしか生きられないと宣告されていた。遺伝子排除されて生まれた弟アントン(ローレン・ディーン)と比べ、自分を遺伝子的に劣った「不適正者」であると思っていたヴィンセントだが、遠泳でアントンに勝った彼は家を出る決心をする。宇宙飛行士になるため、宇宙開発を手掛ける企業・ガタカ社の就職試験を受けたヴィンセントは、「不適正者」のため、DNAブローカーにジェローム・ユージーン・モロー(ジュード・ロウ)を紹介してもらう。最高級の遺伝子を持つ超エリートの水泳選手だったユージーンは、自分の優秀さゆえに悩み、自殺未遂を図り、下半身不随になっていた。ユージーンの生活を保証することを見返りに、彼と契約したヴィンセントは、血液などのサンプルを提供してもらいジェロームに成り済ます。数年後、ヴィンセントは金星の衛星タイタン行きの宇宙飛行士に選ばれるが、ロケット打ち上げに反対していたヴィンセントの上司が殺される。捜査に協力した女性局員アイリーン(ユマ・サーマン)はヴィンセントを疑いながらも、彼に魅かれていくことになった。捜査官になったアントンは現場から検出された毛髪がヴィンセントのものだったことに驚く。結局、犯人は別にいたが、真実を知ったアイリーンは嘆き悲しむ。打ち上げ決行の前日、ヴィンセントはアントンと再び遠泳で対決した。その闘いに勝ったヴィンセントはユージーンに別れを告げて探査船に乗り込んだ。ユージーンは自らの命を絶った。
Vincent
Irene Cassini
Jerome
Director Josef
Lamar
Hugo Coldspring
Investigator
Caesar
Marie
Antonio
Delivery Nurse
Head Nurse
Pre-School Teacher
Geneticist
German
Sequencing Technician
Cop on the Beat
字幕
監督、脚本
製作
製作
製作
撮影
編集
美術
衣装デザイン
音楽
美術
キャスティング
[c]キネマ旬報社
科学、数字がすべて、物を言う世界…
遺伝子操作された人が社会を動かし、
遺伝子で優劣が決められる
そんな世界が未来、来てもおかしくないと思う
SF作品と言っても現実味を帯びた
成績、お金、年齢…
いろいろな数字に支配されたこの世の中
今の社会に疑問をぶつけるような
皮肉も込めた作品
その支配に「努力」すら抗えなくなるのか…?
なんとも設定は素晴らしいものでした
しかし、ストーリーはいまいち
緊迫した状態を事件性を絡めて表現しているが
それが作品を壊してしまっているようにも感じる…
しかしないと、作品として面白味に欠ける
取って付けたような事件であったと思う
設定には高評価、ストーリーには低評価
まずまずと言ったところ
数字に支配された現代社会に「努力」で
抗おうとするSFの1本
あの時もそうだった。戻ることを考えないで、全部の力を出し切ったんだ
欠点を探すことばかりに必至になってるから、本当のことが見えなくなるんだ。
僕に指図するな!僕に何ができて、何ができないか決めつけるな!
ビンセント
遺伝子の優劣によって仕事も社会的な地位も淘汰される未来社会。
人口減少や経済成長の先に、そうした未来が待ち受けているということは想像に難くない。
宇宙飛行士を目指すイーサンホークにとっても、その社会的なハードルが大きな障壁となって立ちふさがる。
ここで、宇宙飛行士という役割が一種「神様」のステータスを象徴しているように見受けられる。
冒頭の「伝道の書」の引用からして、彼の挑戦そのものは自然を支配する神への挑戦を描いていることが暗示されている。
そして恐らく、ジュードロウと弟の存在については、ディケンズの二都物語と、聖書のカインとアベルが下敷きになっていると思われる。
飲んだくれの弁護士が自分とそっくりのフランス貴族の身代わりとなって処刑される自己犠牲の精神がここにあるのだ。イーサンホークがジュードロウを真似るというのは、そういうことの比喩。
この作品が観ているものの胸をうち、かつリアリティをもって迫ってくるのはそういう要素があるからだ。
こう考えると、結末の意味するところもより深くなっているのではないだろうか。