福沢諭吉|MOVIE WALKER PRESS
MENU

福沢諭吉

1991年8月24日公開,0分
  • 上映館を探す

幕末の動乱の中、新たなる時代を切り拓いた福沢諭吉の半生を描く伝記ドラマ。脚本は「動天」の笠原和夫と「ふたり」の桂千穂の共同執筆。監督は「ラブ・ストーリーを君に」の澤井信一郎。撮影は「女がいちばん似合う職業」の仙元誠三がそれぞれ担当。

ストーリー

※結末の記載を含むものもあります。

1835年、豊前(大分)中津藩の下級武士の家に生まれた諭吉は、同じ年に生まれた家老の息子・奥平から下士として扱われ、言い知れぬ屈辱を味わいながら、封建体制の矛盾とそのいわれなき差別を激しく憎んで育った。21歳の時、兄の勧めで蘭学を志した諭吉は、奥平の供という形で長崎に留学。父譲りの勉強熱心が実り、その進歩は著しかった。そして、さらに蘭学を学ぶ為大阪へ向かった諭吉は緒方洪庵の適塾へ入門。ここでも諭吉は頭角をあらわし、塾長となるのだった。1858年、25歳になった諭吉は、家老となった奥平から蘭学塾の塾長になれという呼び出しを受け、江戸に向かう。そんなある日、適塾の後輩・岡本周吉と共に物見遊山に出掛けた横浜で英語の存在を知った諭吉は、多大な衝撃を受けながら、西洋文明へ開眼していき、咸臨丸にて渡米。帰国後、塾を福沢塾と改名し、藩命によって禁止されていた英語を中心に教えるようになった諭吉に対して塾生の藩が続々と子弟をひきとりにやって来た。洋学者は海外の邪説で世を惑わすと横文字を読むだけで命をねらわれてしまう世の中で、それでも諭吉は英語を教え続けた。そんな諭吉の影となり、日向となって目をかけてくれた重職・土岐太郎八の遺志によってその娘のお錦と結婚する諭吉。塾生の数も次第に増えていくが、幕府が長州藩追討に出るようになると、中津藩にも出兵の命令が下り、塾生といえども一刻も早く国許へ帰り出陣に加わるようにとの藩命が下る。そして、塾生にかわって国に帰って出陣しようと憤怒する諭吉に奥平の怒りが爆発。今後中屋敷を塾として使用することを禁じるのだった。1866年、第二次長州征伐に幕府が大敗し、倒幕の動きが激化する中、諭吉は幕府海外使節団の通訳として再び渡米。「西洋事情」を著し、その出版料を元手に塾を芝・新銭座に移転。名を慶応義塾とし、諸国の人材を養成して新しい日本を作ることを目指した。一方、家老職を解かれ、酒におぼれるようになった奥平は、数日後新時代を見届けることなく短銃で自害して果てる。そして、戊辰戦争が起こると、諭吉は「戦争は愚行だ」と抗議するようになり、砲声が鳴り響く中、ウェイランドの経済学概論を慶応義塾の最初の授業に選んだ。一時は塾を閉鎖することも考えた諭吉ではあったが、殺し合いで物事を決めようとする時代に対しての諭吉の新たなる闘いがここに始まったのだ。1871年、慶応義塾は現在の三田に移転。諭吉はその演説館において、近代日本の未来を唱え続けるのだった。

作品データ

製作年
1991年
製作国
日本
配給
東映
上映時間
0分

[c]キネマ旬報社

映画レビュー

3.0
  • 晴耕雨読

    4
    2009/10/3

     卒業生ならば「慶応大学」とは呼ばずに「慶應義塾大学」と呼ぶそうです。大分県中津市出身の私は「慶應義塾大学」OBではありませんが、正式名の「慶應義塾大学」と呼んでいます。映画の題名にしてしまうと味気ないのですが、観客動員を考慮すれば仕方ないでしょうね。映画は福沢諭吉の半生記を描いていますが、私たちが少年時代に父親から聞かされたエピソードを取り入れながら、クライマックスに戊辰戦争による上野戦争と「慶應義塾」の授業の様子を交互に描いていくシーンが印象的です。「慶應義塾大学」に教授は沢山いますが、先生は一人だけだと言うOBの言葉も、この映画を観ることで納得出来ました。澤井信一郎監督は「福沢諭吉」以外でも「わが愛の譜 滝廉太郎物語」や「蒼き狼 地果て海尽きるまで」等で伝記映画を撮っていますが、脚本を笠原和夫が担当しているだけあって、起伏の少ない伝記映画を塾生・篠原小十郎と恋人ノブの恋愛を描くことで見ごたえのあるドラマに仕上げています。

     英米流の功利主義・自由主義思想を紹介し、人間の自由・平等・独立の精神と実学の尊重を説いた福沢諭吉を中心に、幕末から明治維新を経て近代国家日本が形成されるまでのドラマです。彼の著書である「西洋事情」や「学問のすすめ」、「文明論之概略」などもドラマの中に登場するので、伝記一冊を読んだような充実感も味わえます。大航海時代以降、幕藩体制の鎖国封建国家だった日本にとって唯一の外交国だったオランダ。そのオランダ・蘭学が先進国教養の中心だった時代にあって、向学心溢れる福沢諭吉が高価な蘭学書を拝借して、それを全て写し取ったことは、恵まれている現代の少年たちにとっても、私たち中年たちにとっても学問することの大切さを教えてくれます。現代の学生からすれば想像を絶する思いで学び取ったオランダ語が殆ど役に立たないと知ってから、再び英語習得へ向かう意志の強さ。幕藩体制時代での公用語はオランダ語なので、それを生かせば、十分に生活していける筈なのに、世界を切り開くために英語教養を高めていくエネルギーは、私にとっての新たなる国家試験への挑戦を勇気づけられました。

     大分県中津藩10万石の江戸家老・奥平外記を演じた榎木孝明の存在感はときには柴田恭兵の福沢諭吉を圧倒しますが、両名共に明晰な頭脳と先見性があったからこそ、福沢諭吉の晩年の成功があったと思います。もしも奥平外記に門閥がなければ、もっと自由に学ぶことが出来たことでしょう。「福沢塾」から「慶應義塾」となったときに、奥平外記は幼馴染である福沢諭吉の元を訪れ、蘭学では自分は第一人者である。だから「慶應義塾」の教授としての雇用を願い出るシーンがありますが、かつての主従関係以上に門閥制度によって英語教養を疎外された奥平外記の哀しみが胸を打ちます。

     尊皇攘夷によって日本が二つに割れた時代に、幕府軍にも官軍にもつかず戦争を拒否した福沢諭吉は、翻訳による「ペンは剣より強し」という言葉を実践します。映画は上野戦争での日本人同士の殺し合いと「慶應義塾」での経済学の講義風景が印象的に対比されて描かれます。「国富論」での人間一人の富の獲得は国家における富の獲得と同じであると説きながら、画面は両軍の歩兵たちの白兵戦を描いています。しかし、福沢諭吉の「学問のすすめ」には…また自由独立のことは、人の一身にあるのみならず、一国の上にもあることなり。…国の恥辱とありては、日本国中の人民一人も残らず命を棄てて国の威光を落とさざるこそ、一国の自由独立と申すべきなり。…ともあるのです。

    【ビデオ・マイコレクション】鑑賞

    続きを読む + 閉じる -
    違反報告