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投稿レビュー(6件)山猫は星4つ

長い (投稿日:2011年11月29日)

時代の転換期の貴族の話。
豪華な舞踏会。広い屋敷。無駄に思えるシーンが長い長い・・。
でもこの無駄に豪華なところが貴族かも・・。

新興ブルジョワの台頭・革命・議会制度の創設など貴族の特権が無くなっていく時代。
そんな中若いアラン・ドロンは如才なく時代の流れに乗っていく。

他の方も書いていますが「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」私もこの言葉が頭に浮かびました。

 ・自分の時代は終わったと思う方
 ・貴族文化が好きな方
 ・時間に余裕のある方
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投稿:2006年から映画

評価:4
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イタリア貴族の栄華と没落を描いた一大オペラ (投稿日:2009年5月22日)

 ルキノ・ヴィスコンティ監督の壮麗な作品をイタリア語版の3時間5分の完全版で鑑賞出来たのは、21世紀になってリバイバル公開されたときでした。新宿の映画館で鑑賞しましたが、ミドルエイジ以上のおばさまたちが観客席を埋めていたことを記しておきます。予測しておいたことですが、アラン・ドロンが画面に登場するやいなや、一斉に溜息があちこちでもれていました。ドロンの端正なマスクは最上級の美術品のようであり、これがオペレッタならば、軽快な色男として見栄えがしたでしょうが、役柄のタンクレディの行動に備わっていなければならない重みを感じさせるだけの迫力が足りないのです。

 但し、映画の主人公はシチリアのドン・ファブリツィオ・サリーナ侯爵を演じた、バート・ランカスターであり、彼の名演によって「山猫」は一つの文化全体を呼び起こす程の迫力と感動を観客に与えるのです。物語はイタリア貴族の栄華と没落を描いた一大オペラに仕上がっており、この映画が投げかけるのは知的で陶酔に満ちた魔力と形容していいでしょう。また、クラウディア・カルディナーレの新興成金貴族は見事にマッチングしたのか演出の良さなのか、美しいのだけれど、粗野で無教養な雰囲気は唇を舐めたり、ハスキーボイスで甲高く喋るシーンで見事に表現されています。

 クライマックスのポンテレオーネ家の舞踏会シーンには本物の貴族が大動員され重厚な画面を創造しています。これは、紛れもなくヴィスコンティ作品の中でも至福の1時間です。舞踏会が原作での侯爵の独白と同様の機能を果たしているところに、ヴィスコンティの勝利があります。公爵が自分の生涯を再び生き、悔恨を体験し、彼の階級と彼自身の死を受け入れるこのシークエンスを通じて、観客は人生に別れを告げる山猫の心境に入り込んでいくのです。聴きなれたニーノ・ロータの旋律に感動は一気に盛り上がるのですが、このシーンでのアラン・ドロンとクラウディア・カディナーレの若さと狡猾さは山猫の老を対照的に描いており、息を呑むほどに美しいのです。

 夜のとばりに包まれた道に佇むサリーナ公爵(バート・ランカスター)の姿に、マルクス主義者の伯爵・ルキノ・ヴィスコンティ監督がダブりました。
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投稿:晴耕雨読

評価:5
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壮大 (投稿日:2008年8月2日)

難しい…
当時のイタリアの貴族社会がうかがえる。と思う。

豪華絢爛、きらびやか!です。
でも派手派手ではなく、詩的な映像。

衣装に興味がある人、アランドロン好きなら観てください。 »ガイドライン違反報告

投稿:ムム

評価:2
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大舞踏会の絵巻図こそ映画の醍醐味である (投稿日:2008年3月7日)

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 画面いっぱいに広がる黄褐色の世界、真夏のシチリア島内陸部の枯れた世界である。酷暑と砂埃の中をある旅の一行は進んでいく。「旅行」というものは嘗ては一大事業であったことが思い知らされる。サリーナ公の一行が目指す先は、公爵家の夏の別荘地があるドンナフガータ。確かにこの旅は毎年のことで、それ自体はいつもと何の違いがないのであるが、しかし、この年1860年5月には、イタリアの近代的国民国家としての統一を目指すガリバルディが「赤シャツ」の義勇軍を引き連れてシチリア島に上陸したのであり、サリーナ家もその権力関係の中に組み込まれていた両シチリア王国はその崩壊の危機に立っていたのであった。
 翻って1860年の日本のことを考えると、日本もまたこの年に「桜田門外の変」が起こり、1868年の明治維新までの激動の時代を迎える。この変動の時代に如何に対処するか。会津藩や彰義隊のように時代の流れに抗して滅びるか、岩倉具視や伊藤博文のように時代の波に乗って浮上するか、はたまた時代に流されるままに生きるか。この図式から言えば、「会津藩」に当たるのが、両シチリア王国、「岩倉」タイプに当たるのが、サリーナ公爵の甥で没落名門貴族の出であるタンクレディ、そしてサリーナ公爵自身は、上述の三つ目のタイプに当たると言えようか。では、サリーナ公は何故に時代のうねりに対してこのような態度を採ったのか。
 若いタンクレディは年上の叔父サリーナ公にある時かくの如き一見矛盾に満ちた命題を言うのである:「すべてが今までと同じままであって欲しいと願うなら、すべてが変わらないとね。」こう言ったタンクレディはその後、例のドンナフガータ
滞在中、サリーナ家で行われたある晩餐会でこの村の新興ブルジョワ階層出身の村長ドン・カロジェーロ・セダーラの娘アンジェリカと知り合い、二人は恋に落ちる。
成り上がり者に対しては冷笑でこれを迎える支配階層も、成り上がり者の次の世代は受け入れるのが世の常。こうして、映画史上に残る約50分に及ぶ大舞踏会の中、アンジェリカは社交界へのデビューを果たすのである。この叙事詩的絵巻図が万華鏡の如く延々と展開される時、人は映画の醍醐味を味わうことが出来、そしてそこにある人生の流れというものを感じるものである。
 イタリア・ロンバルディア地方の公爵家ヴィスコンティ家は、イタリア最古の貴族の家柄と言われ、そのような環境の中に育った監督であったからこそ、100年前の1862年の華麗なる貴族の、今は失われた威光と栄光を再現できたし、アンジェリカの姿の中にやはりブルジョワ階層出身の自分の美しい母親をヴィスコンティは見ていたであろう。このブルジョワを美しく代表するアンジェリカを相手にアンシャン・レジームを代表するサリーナ公が華麗に踊ったことは、同時にまた、旧支配階層から新支配階層への権力委譲がなされたことの象徴的表現でもあった。
 その歴史的役割を終えるサリーナ公には既に我知らずと死の予感が立ち上っており、ひと時舞踏会の喧騒を一人離れて、十九世紀風の教養人の醒めた眼で病床に横たわる瀕死の老人を描いた絵を眺める。そこに自分の死とそして自分が属している階層の死を見ていたのであろう。貴族としての矜持と威厳はまた、傲慢と無為にもつながるが、時代の変化を認識する者にはそれはまた、成熟した文化の否の面としてのメランコリアとアンニュイを齎すのである。こうして、映画のラスト・シーンが描くように、「君主」は死に対して敬虔に首を垂れるのみなのである。
 因みに、原題のGattopardoとは、ヒョウ属に属するオセロットのことであるが、原作の作者ディ・ランペドゥーサの公爵家の家紋にはヒョウ/パンサーが描かれてあり、小説の題名をパンサーより小型のオセロットとすることで貴族の社会的地位の変化を作者は皮肉っていることを最後に付け加えておこう。
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投稿:やまひで

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貴族は死なずただ立去るのみ (投稿日:2007年9月28日)

ビスコンティがクラウディア・カルディナーレのバッグの中身にまでこだわったという、シチリア貴族の絢爛たる衣装、豪華な宮廷内の装飾を十分に堪能するには、やはりデジタル・リマスター版で鑑賞することをおすすめしたい。

アントニオーニのイタリア映画にも必ずといっていいほど招かれるハリウッドスター。アフレコのため口の動きとイタリア語音声がまったく合っていないのが気になるところだが、シチリアの名門貴族ファブリツィオ・サリーナ公爵を演じるバート・ランカスターは、マッチョな前歴とは裏腹に、なぜかビスコンティ劇場では何の違和感もなくその存在感が屹立している。新時代の動きに機敏に対応する才気あふれる公爵の甥タンクレディを演じたアロン・ドロンを軽くしのいでいる。その相手役、新興ブルジョワの娘からタンクレディの妻におさまるアンジェリカを演じた若きクラウディア・カルディナーレは、頬のあたりがふっくらとしてまだあどけなさが残っているが、そのウエストは完璧なまでにシェイプされ、ビスコンティがこだわりぬいた舞踏会用のドレスが美しくスクリーンに映えていた。

イタリア統一戦争の波に翻弄されるシチリア名門貴族サリーナ家は、ミラノの名門貴族であったビスコンティ家とそのまま重なる。『新旧2つの世界にまたがって生きている』サリーナ公爵が中央政府の使者から上院議員就任の勧誘を受けるシーンにおいて、この映画のテーマがよく語られている。『異文化の圧迫を受け続け、2500年間自らの文化を作り出せなかったシチシア人は老いている。我々は長い眠りを求めているのだ。…ただ忘れ去られたいのだ』『血なまぐさい事件も、甘美な時の流れに身をゆだねるのも、結局は官能的な死への欲求なのだ』『現状を肯定する者に向上はのぞめぬ。自己満足は否定よりも強い』こんな言葉を外資系の会社で言おうものなら、「お前やる気あんのか」と上司からまちがいなくどやされるのがオチだが、ライオン髭をたくわえ人生の悲哀を味わいつくした老公爵が切々と語ると何とも説得力があるから不思議だ。仏教の<無常>にもつながる世界観を、アメリカを含めた新興国の人々が理解するのはおそらく難しいだろう。

既得権益にしがみつき、いつまでも後進に道を譲ろうとしない日本のご老人たちに、この映画で描かれる<去り際の美学>を是非学んでほしい。
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投稿:かなり悪いオヤジ

評価:5
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「若きアラン・ドロン」と「名優バート・ランカスター」 (投稿日:2007年8月12日)

イタリアの映画関係者(確かニューシネマ・パラダイスの監督も参加してたかと)による数年間の修復期間を経て、ルキノ・ヴィスコンティーの映像が美しく蘇ったとの情報で、観にいきました。
1日/2~3本、10日間位のペースで上映されていましたが、中でも来場者がもっとも多かった作品です。
主人公の眩しいほどの若さとの対比が、バート・ランカスターの名演によりよりいっそう際立っていています。華やかですが、一瞬にして消えてしまう花火のシーンは、私にとって最も印象に残る場面です。 »ガイドライン違反報告

投稿:ももちゃん0930

評価:5
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感動いたしました!! (投稿日:2006年11月2日)

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投稿:メトロ

評価:5
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