甘い生活|MOVIE WALKER PRESS
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甘い生活

1960年9月20日公開
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「崖」のフェデリコ・フェリーニ監督作。退廃したローマ上流社会が描かれている。フェリーニとトゥリオ・ピネリ、エンニオ・フライアーノが共同で書いた原案を、この三人にブルネロ・ロンディが加わった四人が共同脚色した。撮影は「青春群像」のオテロ・マルテリ、音楽は「戦争と平和」のニーノ・ロータが担当。出演するのは「掟(1959)」のマルチェロ・マストロヤンニ、「ローマの旗の下に」のアニタ・エクバーグ、「恋人たち」のアラン・キュニー、「今晩おひま?」のアヌーク・エーメら。製作ジュゼッペ・アマート。一九六〇年カンヌ映画祭でグランプリを受賞した。

ストーリー

※結末の記載を含むものもあります。

作家志望の夢を抱いてローマに出た青年マルチェロ・ルビーニ(マルチェロ・マストロヤンニ)は、今は社交界ゴシップ専門のトップ屋となった。憧れた都は退廃と無気力以外の何ものでもなかった。カトリックもキリストの像をヘリコプターで運ぶなど、華やかな示威をした。豪華なナイトクラブでは、ローマの大富豪の娘マッダレーナ(アヌーク・エーメ)にめぐり会った。場末の夜の女の宿でマルチェロと一夜をすごすことも、彼女にとってはほんの気まぐれだった。郊外のわびしい家に帰った時、マルチェロは同棲中の愛人エンマが服毒して苦しんでいるのを見た。しかし悔いる気持も永くは続かなかった。彼はハリウッドのグラマー女優(アニタ・エクバーグ)を迎えると、野外で狂乱の宵を過し、名所トレーヴィの泉で戯れた。ローマ地方の郊外で奇蹟が起きた。再び聖母出現の日の聖地はテレビ・カメラに包囲され、奇蹟にあやかろうと横たわる病人の上に豪雨が降りそそいだ。日頃マルチェロのため悩みの絶えぬエンマは熱狂して信じた。二人は友人スタイナー(アラン・キュニー)の家を訪れ、調和と安らぎに満ちたその生活を羨んだ。或る夜、豪壮な館のパーティーに出たマルチェロは、虚脱したように歓楽をむさぼる貴族たちの仲間入りをした。スタイナーは死んだ。子供を連れた無理心中だった。平和に見えた一家のこの悲劇の深さはマルチェロの残った夢をすべて消した。その場限りの快楽の他に今の彼は何を望んだろう。やがて海に近い別荘でこの世のものとも思えぬ乱痴気騒ぎの狂宴がくりひろげられた。マルチェロは自ら狂乱の中に没入した。夜明け方、人々は快楽に疲れ果てた体をひきずって海辺に出た。波打ち際に打ち上げられた怪魚は、腐敗し悪臭を放ち、彼らの姿そのものだった。彼方から顔みしりの少女ヴァレリアが何か叫んでいる。その声は波に消されて彼の耳には入らない。真実の生命の清純さに溢れる少女に背を向けて、マルチェロは砂浜を別荘の方へと戻って行った。

作品データ

原題
La Dolce Vita
映倫区分
G
製作年
1960年
製作国
イタリア
配給
イタリフィルム

[c]キネマ旬報社

映画レビュー

3.5
  • まこと

    3
    2013/1/31

    TOHOシネマズ、午前十時の映画祭で鑑賞
    先週の『道』に続いて、フェデリコ・フェリーニ作品ですね

    これは…何なんでしょw
    多分、斜に見るのが正しいんでしょうね…そもそも『甘い生活』ってタイトル自体、斜に構えているようなもんだしw
    だって、最後まで、甘い感じしないですもんねえ…

    主人公はゴシップ紙の記者っていう設定のようですが、何故かローマの上流階級、今で言うセレブやらVIPやらと交流が深い
    たかが新聞記者で、なんでこんなに交友関係が広いのか…多分、プレイボーイだからでしょうw
    でも、映画制作なんかでも、何故か制作者サイドにいるような…主人公の立ち位置がよく分かりませんが、この映画は基本、そういう説明はほとんどないですねw

    しかし、その視点は、この社会のあらゆる事柄をシニカルに捉えているように見えます
    貴族や実業家といった上流階級はもちろん、映画俳優、芸術家、ゴシップ記者(パパラッチ)、果てはオカルトや宗教に至るまで、どこか滑稽さを感じるのは、恐らくフェリーニ自体が、そう感じているからなのでしょうね

    大小取り混ぜ、たくさんのエピソードが、あまり脈絡なく綴られていきます
    基本、エピソード間の繋がりは薄いですね
    ほとんどのエピソードは、それが欠けてもストーリー全体には影響しないような…そんな感じです
    逆に言うと、ストーリーの縦軸が見えない…1つ1つのエピソードも、結局何を言いたいのか、よく分からないのが多いですしw

    しかし、終盤に差し掛かったあたりで、ある衝撃的な事件が起こり、主人公の生活が一気に堕落します
    いや、本人が堕落と捉えているのかどうかは不明ですが…それまでは、やや背徳的な雰囲気はあるものの、主に性的な部分がオープンなだけで、モラルに対する判断はしているように見えていたのですが、この事件の後は、完全に破滅的で退廃的な生活に突入するようです
    何でしょうね…幸福な人生に対する価値観や基準が変わってしまったって事でしょうか
    ここも説明的な描写は一切無く、いきなりイタイ感じになってしまう、観る側の解釈次第ですがw

    ラストシーンが印象的ですが、ここも明確な解釈は明らかになっていません
    純真無垢を象徴するモチーフと腐敗を象徴するモチーフを出す事で、こちら側とあちら側(=退廃した生活)の隔絶した状況を表しているとか、声が波の音に消されて主人公の耳には届かない…という描写は、心ある人の忠告も彼の耳には届かないという、主人公の救いの無い状態を表しているという解釈が一般的なようですが…

    こういう難解なシーンを用意する意図っていうのは、結局、制作者が用意したメッセージを正しく伝えるより、観客の想像力を刺激したり、自由な発想で観て欲しいって事なんですかねぇ
    もし、そうなら、こんな風に「答え合わせ」する事自体、無駄な気がしますねw

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  • 2006年から映画

    3
    2011/4/4

    主人公が浮気したり婚約者と喧嘩したりセレブなパーティーに行ったり浮気したりしてる日々をオムニバス的につづっています。

    男女関係や人生への絶望・神や親への思いなどが所々に出てきますが、曖昧な内容なので深読みが好きな人はどのようにでも深読みできてしまうし、ストーリーも楽しいものじゃない。

    思わせ振りでつまらない話なんて、うっとうしいだけで私には合わない・・。

    有名な映画監督になってチヤホヤされて女優にもてて羽目をはずしてる実体験を一般受けするようにちょっと意味深などうとでも取れる要素をくっつけて映画にしただけ?とも思ってしまいました。

     ・もて男な方
     ・乱痴気騒ぎが好きな方
     ・意味深好きな方
      にお勧めです

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  • ボンゾ

    5
    2008/4/28

    ローマの上空を、ヘリコプターで吊らされて運ばれるキリスト像。これから観る者の心を鷲掴みにする映像、同じ芸術でも、絵画でも、文学でも表現出来ない、映画的興奮に満ちあふれた映画史屈指のオープニングから、かつて、ローマの休日で観た名所が朽ちていく者たちの乱痴気騒ぎ所に、又は自信のメタファーの様な腐った大魚等、象徴的なシーンを力強い映像で進行。ラストの無垢な少女の叫び声が聞こえないのは(聞こえているがもうどうにも戻れない。)我々現代の日本人も同様か?はたまた、無垢なる少女の現代人への忠告?歳をとるたびに感動が深くなる大傑作です。

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